わたしと納豆ごはん

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納豆をつくる番

わたしの家では小さい頃、夜に納豆をよく食べていました。

祖父母はもともと東京で住んでいて、戦争をキッカケに親戚のいる大阪に引っ越してきたので、納豆を食べる習慣がもともとありました。また祖父母両親供、納豆が好きだったこともあるのでしょう。

大阪では昔、納豆を食べる習慣はなかった、などと言われることもありますが、大阪でも食べる習慣はあっと思います。なんせ納豆は昔から売っていましたからね。それを食べていましたからね。

ただ、東京のように朝から納豆売りが来るというのはなく、昔は近所の商店や市場、時代が進めばスーパーなどで買っていました。そうすれば自然と食べるのは昼か夜になってしまうという話です。

関西では特に、夜に納豆を食べることが多いようです。それは、こういった販売経路(朝に買える場所がなかった)や食習慣(大阪では伝統的に昼にご飯を炊くことが多く、それに合わせてた食文化になっているなど)によって、そうなったんだと思います。

たぶん祖父母も昔は朝に食べていて、大阪に来てから昼や夜になったんではないかと。まあ、想像の話ですが。

そして当時は家族も多く、ご飯も個別ではなく、家族全員分をいっぺんに作ります。そして納豆も昔は、個別パックではなく100g前後の家族で食べる用の大容量。わが家ではネギとカラシ、それと生卵をおとし、醤油等で味を整え、家族全員分をまとめて作るのが定番。

この納豆を作るのは、自然と食事前となります。食事の準備を家長(父)以外が手伝うのも当時としては定番。この納豆を作るのも、誰かがしなければいけません。

要は「納豆を作る番」というのが、わが家にはあったのです。

そして、その番はもっぱら、わたし。理由は単に納豆が好きなので、進んでやっていたためと、この納豆を作るのが上手かったこと。納豆好きですから、美味しくなるように努力するわけです。自慢じゃないですが、けっこう美味しく作れますよ。

昔はこのように、このような納豆をよく作っていたのですが、最近また、この納豆を作る機会に恵まれています。

例えば昼食時に納豆を食べようとなったとき、その家族定番の納豆を作るのはもっぱらわたし。納豆は1パックが小さくなり、たれからしも付いているのですが、納豆パック3、4個ほど大きな器に入れ、タレもカラシもネギも卵も全部入れかき混ぜます。

両親もすっかり年を取りましたが、おいしそうに納豆をかき込む姿を見ながら、わたしも一緒に食べています。

そんな風に納豆を作りながら、ふと「他所よそうちでは、わが家うちみたいに『納豆を作る番』みたいなのが、あるんかな?」と、ふと思ったりしたのです。

お盆という時期が、そう思わせたのしれません。そんなことを考えた8月15日でした。